なさけない念仏をとなえる

新幹線にゆられながら口にするのは、粗挽きブラックペッパーとビールだった。

でたらめなこと、だけれども自分にとってスジの通したこと、そういった細部がだらしない生き方を支えている。

 

数日前、静岡に住む友人に連絡をして、そこを小旅行の目的地とした。前日は早々に労働を切り上げて、冷える夜を花見て歩くほどの余裕をのこして自宅へ帰った。

朝、布団を抜け出し、また被った頃になって、目がやっとあいた。想定していた出発時間はとうに過ぎ、歩きながら交通手段を調べる。五分前に出ていればと毒づきながら、にじむ汗を気にしながら走っている。今日は天気が悪く、道をふさぐ老人たちを罵倒したくもなり、くぐもる気持ちを追いたてて券売機の前に着く。

発車時間までのこり三分、酒を買う時間もない。クレジットカードを差し入れる、このカードは使えません。同じ動作を繰り返す、このカードは使えません。またこれかという暗い影がのびていく。祈る気持ちがあきらめに変わりはじめた時に、愚かなまちがいに気づくことがよくある。カードの向きが反対であった。

酒を買う時間をつくりだした私は、やりたいことをやりたくなる。胡椒をつまみにジントニックを飲んでみたい。ターミナル駅の裕福なスーパーに足を向ける。あれでもないこれでもないと200円のブラックペッパーを見つける。時間も残り少ない。ジントニックを探そう、迷うつもりもないのだが視線はおよぎつづける。そもそも急にはじまった胡椒とジンという組合せだが、クラフトジンくらいこだわりたいという思いもある。すっかり諦めて、ヤッホー・ブルーイングのビールを選ぶ。燦燦という商品名が書かれている。

そうしてホームが車窓から離れていった。十分後には口のなかをブラックペッパーの刺激にさらしながら、そこそこの苦味のある液体を流し込んで、愚かさを忘れている。昨日と今日で誇りをもてるのは、ちいさくてもやりたいことをやったことだけだろう。足元では週明けの仕事の書類がゆれている。酔いに任せて彼らを無視している。

私は思い返している。スーパーで決済の列に並んでいる時、失望にくらくらした瞬間があった。起きれない朝、調べていない旅路、あるいは美味しいジンというこだわりを捨てたことが理由だろうか。老人やストリートファッションの女性に挟まれながら、考えは変わっていく。労働に揉まれる東京で、自分なりのジンと胡椒という小さなしあわせを手にしている。お金のある人もそうではない人も取り込むターミナル駅から幾分か気を良くして南下したのであった。