無職初日

勤め続けた毎日が終わり、本日をもって無職となった。始業時間に同じチームの老年男性から情報共有の着電あり、既知の内容だったが「お心遣いありがとうございます」と返す。歯医者を受診しているあいだにもう一度電話あり、留守録が存在しないので折り返すと「トンチキ」だなんだと責のないことでいきり立っている。そういえば、これが労働者の感情だったと思い返す。

 

職の無い自由なからだをもってして、欲というものを考える初日だった。まず、定期検診を週末から平日に変更した結果、いつものギャルの歯科衛生士ではなく同年代の女性に担当してもらって気づくことがある。担当違いの施術を比較して、以前の舌や歯茎の性的に思える触り方や胸の接触は、故意に行っていることが分かった。性欲の構造や需給の性差とは関係なく、身体の拘束や立場の優越を与えると、児戯のようにそういった行為が発生する場合もあるのだろう。但し、孤独な男性の妄想に過ぎない公算も強いので、都市伝説のひとつとして数えて欲しい。
確信のもてなかったものを解決して、昼時の食欲へと向き合っていく。なにが食いたいかと薄ぼんやりと問うと、蕎麦が食べたいと答える。丁度、贔屓にしていた店が無くなったのもあり、腰を据えて候補を探してみる。探し続ける苦痛の時間のなかで、今後数カ月の昼夜において、この問答を繰り返しつづける可能性に気づき、暗い気持ちになった。
この意味において季節のものを食べようという慣習は、「季節のもの」なる体系のもと食欲をデータベース化し、欲をまざまざと見定めていく疲労を回避しているのだと思い至る。嗜好が風流なわけでも、必要な栄養素が摂れるなどの生物学的な影響でもない。
とはいえ、これぞという店が近くに見つかると現金なもので気が持ち直し、足取り軽く桜を踏みしめて向かった。歩く傍ら、なぜ蕎麦に思い当たったのか考える。無職の第一歩目をひとり歓待するにあたり、蕎麦の昼酒ほど適したものはなく、だから直ぐ様浮かんできたのだろう。こんな納得をよそに待望の店は昼じまいまで一時間以上も残し、蕎麦切れであった。ふざけやがってと思いながら近所のラーメン屋でハートランド500mlを飲み干す。ラーメンなどゆっくり食べるものではないから、ものの30分足らずで祝杯が身体に取り込まれていくことになり、少しおかしくなる。
生来の衝動性が頭を出し、道行く建物のディティール、人の動きや看板その全てが目に飛び込み、ひどく疲れる。駆け回る子供たちの肉体の疲労が吐息と汗によって空間を漂っているが、なぜ自身はアルコールに巻かれ、精神の疲労を負っているのか不思議な気持ちになる。酔いざましに冷たいものを摂るべく、カウンターで供されるデザートを食べようと歩みを続ける。

パティシエの動きを、まじまじと見ているのは心地がいい。一方で同じカウンターの客の動きに唖然としてしまった。偏見だが、ホスト風の男性の連れてきた若くツラのいい女性が、出来上がったパフェの階層を無視して上部を皿に投げ捨て、中の果物だけをつついて食べていたことに吐き気がする。男性のパフェも同じ被害にあっていた。
飲食店において直接的な迷惑以外、他者の行動を制限できる理由はないから、この嫌気は私的な趣味に過ぎない。振り返ってみれば、エロティック・キャピタルを重視していそうな同席者を自己の美食欲に対する侮辱と捉えたことに起因するのだろう。手間暇がかかったものへのぞんざいな扱いや、組み合わせが売りの食べ物を単独で食べる無神経さなど色々理由は考えられるが、美味しいものを食べにくる自身という存在を随分と大切にしているのだなと気づき、それにも気味が悪くなった。
結局、食欲も性欲も同列であり、適法に取引で満たしてくれればいい。しかし、色恋営業や性にまつわる交渉は隠してするべきであるという規範も持っている。私がよい飲食店にいく時は、承認欲求と食欲が合わさった価値を感じ、他方では性欲を格下に置いているのかもしれない。但し、どちらの欲もあって店は繁盛している。「東京いい店やれる店」とはよく言ったものだ。